http://www.sentaku.co.jp/contents/attention/index.php?date=200901
選択 2009年1月号
「経済大動乱」が後押し 「救国大連立」へ高まる足音
企業の生産ラインが止まって雇用が崩れる中、麻生政権は何もしないうちから自壊し始め、政権交代、政界再編に関心が集まっている。年の瀬の永田町の話題は「消費税で政府・与党に溝」と「自民、公明の選挙協力見直し」だった。この二つは「超大連立」の伏線なのか。政権批判を強める渡辺喜美、加藤紘一、山崎拓は再編の引き金を引くのか。どちらも疑問だらけだが、崖から転げ落ちるような大不況の進行が、まさかの大政変を招く可能性を否定できない。
旧臘九日の夜、銀座の日本料理店「吉兆」に、森喜朗(元首相)、青木幹雄(前自民党参院議員会長)、山崎拓(元自民党幹事長)、渡邉恒雄(読売新聞グループ本社会長)、氏家齊一郎(日本テレビ放送網取締役会議長)が顔をそろえた。秋の叙勲で旭日大綬章を贈られた渡邉のお祝いの会という触れ込みだった。
出席者は「政局の話題は出なかった」と口をそろえたが、翌朝の新聞はベタ記事ながら「政局で意見交換」「政界再編も話題」と筆を走らせた。二〇〇七年十一月の「大連立」騒動で、渡邉が福田康夫と小沢一郎を仲介し、森が福田の代理として小沢に会った経緯を思えば無理もないだろう。
しかもこの会合は、その数日後に永田町で起きた二つの出来事によって、ますます意味深長な色彩を帯びてくる。
麻生は退陣し首班は与謝野!?
まずは消費税だ。麻生太郎首相は十月三十日の記者会見で「三年後引き上げ」を公約した。が、十二月十二日の与党税制大綱には明記されなかった。選挙の不安材料を除いておきたい公明党が反対したのだ。財政再建派の経済財政担当相・与謝野馨が反発し、麻生は与謝野に突き上げられる形で「三年後」と押し戻した。
政府と公明党の対立が深まった十五日夜、自民党の派閥領袖の会合で、党選対委員長の古賀誠(古賀派会長)が自・公選挙協力を見直すべきだと言い、速報がたちまち政界を駆け巡った。
「小選挙区も自民、比例も自民。自民は自民の政策と選挙で戦わなければ弱体化する」
「百八十ある比例区をみすみす公明党に渡していいのか。(自民党の)比例票が出ないようなら妙な言い方はやめるべきだ」
自民党は、小選挙区で公明党の支援を受ける見返りに「比例は公明党へ」と呼びかける協力態勢をとってきた。それでいいのかという原則論を古賀が口にしたのはこれが初めてではない。が、消費税をめぐる政府・公明の対立と重なった折も折、「何かある」という憶測をかきたてた。
「そもそも公明党の支援なくしては小選挙区(東京一区)で当選できない与謝野が、いかに信念とはいえ、公明党とあからさまに対立するのはなぜか。宿敵・海江田万里(民主党・東京一区公認)と戦わずにすむ見通しがついているからではないのか」
「公明党排除は〇七年の大連立協議で小沢が示した条件だ。渡邉の信念でもある。与謝野は渡邉を通じて小沢とつながっているのではないか。〇七年は実らなかったが、今は大恐慌の崖っぷちだ。麻生は退陣、与謝野首班で自民、民主の『救国大連立』――。政局安定、政策遂行に向けて渡邉が仕掛けないわけがない」
これが、師走も半ばの時期で、永田町に突如浮かび上がった政変イメージである。疑問はある。追い風に乗る民主党が選挙決戦を放棄するか。大連立アレルギーの強い非小沢系が小沢に従うか。公明党に深く依存する自民党が急に「回れ右」できるのか――。だが、経済大動乱が進行中なのだ。
同じころ、メディアが競って描いたいま一つの政変イメージの主役が渡辺喜美(元行革担当相)である。十二月八日夕、グランドプリンスホテル赤坂で開かれた渡辺のパーティーには、自民党の中川秀直(元幹事長)、小池百合子(元防衛相)、武部勤(元幹事長)、民主党から枝野幸男(元政調会長)、松本剛明(前政調会長)らの面々がかけつけた。
渡辺は思わせぶりに政界再編を占って見せたが、渡辺自身の去就はともかく、新党の裏づけとなるような実態はない。渡辺は三カ月前の総裁選で小池の推薦人に加わった。小池はその借りを返しに来たのに過ぎない。小池を担いだ中川も同じ。武部は渡辺の亡父・美智雄に義理があった。
枝野と松本は、自民党が民主党の金融再生法案を丸呑みした金融国会(一九九八年)以来、渡辺と付き合いがあるが、それ以上ではない。パーティーは思惑と義理がらみの社交風景に過ぎず、クーデターの秘密の匂いがない。
決起迫られる自民党「離党予備軍」
渡辺は十一月二十一日、塩崎恭久(元官房長官)、茂木敏充(前行革相)、世耕弘成(元首相補佐官)らと首相官邸を訪ね、官房長官に第二次補正予算の早期国会提出を申し入れた。
緊急経済対策を盛り込んだ補正予算の早期提出は正論だ。が、政府・与党は新年の国会に提出する方針を固めていた。年内に出せば、民主党の審議引き延ばし戦術に振り回され、政局の主導権を失う恐れがあったからだ。
それと知りながらメディアに予告し、二十四議員の署名を携えて官邸に乗り込んだ渡辺らの行動は、選挙区向けのパフォーマンスだと受け取られた。内閣支持率暴落の折も折、暴風雨圏を航行中の船上にいて浸水と戦わず、我先に救命ボートを奪い合う醜態だという批判を招いた。
「一体何を考えてるんだ」(北側一雄・公明党幹事長)、「後ろから鉄砲玉を撃つことは、絶対にあってはならない」(古賀誠)と与党幹部が猛爆。メディアが「政界再編の発火点か」と持ち上げた中堅・若手グループは、反撃の場面もなく後退した。
自民党分裂のもう一つの引き金と見られているのが加藤紘一と山崎拓である。十月初め、二人は亀井静香(国民新党代表代行)を交えて小沢と密会し、席上、小沢は加藤、山崎に衆院選前の離党を促したという。加藤と山崎が検討している新党の名は「結(ゆい)」だという報道もある(読売新聞十二月六日付朝刊)。
ともに二世議員である小沢と加藤は少年時代からの仲。自民党では同志であり、好敵手でもあった。小沢はかつて渡辺美智雄を首相に担ごうとし、山崎はその渡辺の代貸しだった。
小沢が加藤・山崎を誘って何かやる――。このイメージをテレビ画面上に映し出してみせたのが十二月十四日のテレビ朝日「サンデープロジェクト」だ。加藤、山崎、亀井と菅直人(民主党代表代行)が顔をそろえ、菅と亀井が、加藤と山崎を挑発した。
名実ともに小沢の代役を務める菅は翌十五日、日本記者クラブで会見し、加藤、山崎、渡辺ら自民党の離党予備軍にあらためて選挙前の決断を呼びかけた。
だが、こんな挿話もある。
十一日夜、民主、社民両党参院議員の懇親会に小沢が現れた。民主党の輿石東参院議員会長、簗瀬進国対委員長、社民党の福島瑞穂党首、又市征治、渕上貞雄両副党首らが居並ぶ席で加藤、山崎の動向が話題になった際、小沢は上機嫌でこう言った。
「加藤は一票。ヤマタクは一票にもならん」
選挙に強い加藤は次期衆院選後も議席を守るだろうが、往年の宏池会会長もいまは尾羽打ち枯らし、孤立無援の身だ。一方、山崎は四十一人を擁する自民党内第四派閥の長だが、配下は小泉に釣られ、麻生に走った結果バラバラの状態。何よりも本人が落選の危機に瀕している。
棚卸しのついでに小沢は渡辺と中川(秀直)も俎上に乗せ、渡辺は「決断できない」と予測、中川については「小泉(純一郎)と同じ。(民主党が)組めるわけがない」と突き放した。
無規律無節操となった総裁選び
この瀬踏みが「大連立」とつながっているのかどうかわからないが、小沢が見透かした通り、今の自民党離党予備軍には、九〇年代初め、旧竹下派の跡目相続をめぐる確執から脱藩した小沢グループの規律と団結がない。政治改革を盟約して飛び出した新党さきがけの理想と情熱もない。
今期限りで引退する自民党副幹事長・鈴木恒夫(六十七歳)=衆院当選六回、福田改造内閣の文科相=は、引退を決めた理由の一端についてこういう意味のことを言う。
「自民党は情けなくも付和雷動の時代となった。安倍晋三が次のリーダーだという空気になると、我遅れまいと安倍をはやし立てる。次は福田康夫、福田がつぶれれば麻生太郎。ああ、こんな世界にいたのか、という気持ちになる」
派閥の崩壊に伴い、総裁選びの無規律、無節操は極まった感がある。自民党の長老は若手の無節操を嘆くが、節操を失わせた責任の一端は、人気投票型の総裁選を煽った長老の側にある。
草創期の自民党は、官僚とブレーンを巻き込み、戦後復興と経済立国にあらゆる英知と情熱を注ぎ込む政治家集団を生み出した。興隆期にはそのギアを巧みに切り替える政治家群を輩出した。
いま問われているのは、大不況対策、社会保障、国際貢献を総合する大政策を練り、確実に遂行する集団を生み出せるかだ。呉越同舟の会盟ではなく、真の同志的結合が成り立つか。自らのサバイバルのための付和雷同を繰り返す今の自民党では難しい。
となれば、行き着く先は、やはり「大連立」なのか――。(敬称略)
2009年01月02日
この記事へのコメント
コメントを書く

