2009年01月02日

それぞれの山寨、それぞれの夢

JMM [Japan Mail Media]  2009年1月1日発行 http://ryumurakami.jmm.co.jp/
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『大陸の風−現地メディアに見る中国社会』
     ふるまいよしこ :北京在住・フリーランスライター
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「それぞれの山寨、それぞれの夢」

 あけましておめでとうございます。

 2008年は中国にとって、グラフにすると正に負に大きく揺れた年だった。激動
に直接さらされた人たちにとっては辛い年となったが、全体を振り返れば「激動の中
からの変化」のブレも大きかったといえる。

 日本人に近年の中国イメージを焼き付けた「毒餃子事件」は、「社会の不安定」を
恐れる中国政府当局によって報道規制が敷かれたために、「日本人による中国の嫌が
らせだ」と言った発言が闊歩し、それだけを中国国内の反響としてピックアップした
(というか、それしかピックアップするものがなかった)日本のマスメディア報道を
読んだ日本人の「嫌中感」が中国市民の反論の水掛け論を展開した。

 その報道を見ていて思ったのは、どこのメディアも「報道規制が敷かれているので、
中国の人々は事件の実際を理解していない」ことを前提に報道してはいたが、実際に
蚊帳の外に置かれた、中国の一般市民に対して、相手が報道規制によって無知である
ことを知りながら「知ってる」日本人が罵詈雑言を浴びせることが有効だろうかとい
うことだった。「報道規制」に対する嫌悪感なら中国当局に向けるべきだし、「何も
知らないくせに」と決め付けるなら中国の一般市民に攻撃の矢を向ける必要はない。
民間の嫌悪感の発露とその行き所のない怒りは、お互いに「中国」「日本」という漠
然とした国家概念に対する悪イメージとして固まってしまった。

 その後、中国国内では、「粉ミルクのメラミン混入事件」の摘発によって、食品工
業に対する警戒感がぐっと高まった。その過程でも「社会の安定」を理由にした、中
国当局の情報コントロールは感じられるが、人々は胡錦濤国家主席と温家宝総理がそ
の就任後ずっと主張してきた政治スローガン「和諧社会(調和ある社会)作り」をも
じって、そのような当局によるコントロールを「和諧」(あるいは「河蟹」。発音が
同じなので)と揶揄するようになった。たとえば、「社会の安定」のためにあるブロ
グが閉鎖されたり、ニュース記事が削除されたり、ある人物が逮捕されたり、行方不
明になったりするのを「被和諧掉了」(和諧されちゃった)と呼ぶ。かなりブラック
なユーモアである。

 年初めにインターネットで流れた人気タレントどうしのベッドイン写真騒ぎでは、
それまで清純さを売り物にしていた女性タレントが事件後の記者会見で自分のことを
「太シャー太天真」(バカで単純すぎた)と語り、大反響を呼んだ。そこには事件が
注目されたこと以上に、それより先に全国放送の国営テレビ局である中央電視台(以
下、CCTV)が流したニュースの、小学生の「インターネットは『很黄很暴力』
(エロで暴力的)だ」というコメントが物議をかもしていたことも前提となった。

 若者に影響力を持つメディア人、王小峰は日ごろから「テレビ局は自分たちがほし
いコメントだけを編集して番組に仕立てるからテレビには出ない」と公言しているが、
この「很黄很暴力」現象についてもそのブログ「不許聯想」でこう綴っている。

「CCTVの記者はその実、自分で著名ウェブサイトにアクセスしてそれを開いて、
コンピュータ画面のエロで暴力的なページを映像化するだけでよかったはずだ。しか
し、彼らは刺激がほしかった。未成年者を引っ張り出してカメラに向かってその言葉
を言わせれば衝撃的だし、効果があると考えた。この五文字はしっかりとCCTVの
偽善的なニュースの価値観を体現したし、またすべての中国人がすっかり慣れ親しん
でいる伝統――未成年を保護するという意識の欠落を暴露した」(「エロで暴力的な
のは誰なんだ?」・08年1月8日)

 未成年の保護、といえば、夏の北京オリンピック開会式で多くの人々を感動させた
少女の歌声が、実はバックステージで歌ったほかの女の子のもので、テレビに映った
少女はただの口パクだったというニュースに世界も驚いた。舞台裏を知って心の中で
この「很黄很暴力」という言葉を思い出した市民は多かったはずだ。

「『生放送で映し出される少女は必ず、視聴者に完璧無欠のイメージを与えなければ
ならない』と、コストをいとわないほど巨額の金をかけたこの開幕式の音楽総監督で
ある陳其鋼氏は言った。『その理由は、我われは国の利益を第一に考えなければなら
ないからだ』。この、ほんの小さなエピソードはもしかしたらもっと深いものをはら
んではいないだろうか?」(「許知遠:個体の欠落」亜洲週刊・08年8月31日)

 そうだ、5月のチベット騒乱の際には、「做人不能太CNN」(CNNみたいなこ
とをやっちゃいけない)という単語が生まれた。事件の真相はともかく、CNNをは
じめとする一部海外メディアが写真を意図的に操作して流したり、キャプションを間
違えたりして事件の重大さを誇張したことが原因だった。もちろん、海外メディアだ
けが操作をしているわけじゃない。オリンピック開会式で披露された花火が実は実写
ではなく、コンピュータ合成だったことが分かったときも「做人不能太CCTV」
(CCTVみたいなことをやっちゃいけない)と言われた。

 そのオリンピック、「避暑」ならぬ「避運」(避オリンピック)という言葉も生ん
だ。政府は「中国人民の百年の悲願」を枕詞にオリンピックを喧伝し、交通規制を敷
いたり、次から次へと臨時の条例を出して市民生活に不便を強いたために、日ごろか
ら北京で暮らす人たちは、その発音が「避孕」(避妊)と同じこの単語を使って、
「おおっぴらに口にしては言えないけど、でも内心はそうしたいのよ」みたいな、後
ろめたさと秘密っぽさを楽しんだ。そういえば、その交通規制のテーマ「好運北京」
(グッドラック北京、あるいはスムーズな「運輸」の北京)を、やはり同音で「好暈
北京」(突然の交通規制に頭を抱えて目が回る北京)と読んだ人もいる。

 台湾では、8年間続いた民進党政権を破って国民党候補の馬英九氏が総統に当選し
た。それまで「台湾は不可侵の領土」とする中国政府と、台湾独立を志向する前政権
民進党との間で対立姿勢が続いていたため、同言語を話す間柄ながら障害の多かった
中国と台湾の往来関係がこれでスムーズになり、経済面の好転が期待されると選挙活
動中から「馬上好」(すぐに好くなる)という言葉が、「馬氏が総統の座に上れば好
くなる」にひっかけて繰り返された。

 そういえば、日本で麻生首相が誕生した時に、あるテレビキャスターが「馬」と
「麻」の発音が同じことに引っかけて、「なるか、麻上好? それとも麻麻(まぁま
ぁ)?」と言っているのも聞いた。さすがのわたしも「なんちゅう無節操な」とも思
ったが、首相の政権放り出しが2回も続くと、さすがに何も抗議できなかった。つい
でに秋に実現した麻生首相と胡錦濤主席の会談はその名をとって「胡麻会談」とも呼
ばれていた。ちっちゃいのう。

 中国のトップリーダーに絡む話題と言えば、「什錦八宝飯」という言葉がもてはや
された。「和諧社会作り」を旗印に、経済成長というバックグラウンドのもと、中国
全土のみならず世界各地を訪問する胡錦濤主席や温家宝総理の姿は人々に好意的に受
け入れられており、日ごろはお堅い国営通信社である新華社までもが彼らの名をもじ
って「什錦八宝飯」(「飯」は「ファン」という意味に通じる)などという単語を発
表して人々を驚かせたし、実際に「什錦八宝飯」を自称する若者たちも多く現れた。
わずか15年ほど前に故トウ小平の目の下のクマをパンダに見立てたりするのが、こ
っそりと行われるしかなかった国においては驚くべき変化である。

 社会的にはまだまだ前途多難を思わせる事件が多かった2008年。先のベッドイ
ン写真騒ぎのときにテレビの街頭インタビューで意見を求められた男性が「知るかそ
んなこと。オレは醤油を買いに来ただけだ」という姿が放送され、無関心を装うやつ
という意味で「醤油男」「打醤油」(醤油を買う)という単語が使われ始めた。これ
と同じように、貴州省で少女の不審死が市民の大暴動を引き起こした事件でも、河に
跳び込んで死亡した少女が一緒にいた青年の「そばでオレが3回腕立て伏せをしてい
るうちに跳び込んだ」という、よくわからない証言を採用して、公安当局が少女の死
を自殺と見なしたことが市民の反発を呼び、腕立て伏せ「俯臥チョン」が「無関心の
ふりして責任逃れをする」という流行語になった。

 市民たちは当局の情報規制や高圧的な態度に「散歩」して抗議することを覚えた。
これは2007年に、観光海浜都市アモイにおいて、行政当局が強硬に化学工場を建
設しようとしていたことに対するデモの呼びかけに応えて、2万人の市民が「散歩」
と称して政府ビルに向かって三々五々行進したことに始まる。市民には秘密裏にすで
に建設が始まっていたこの工場は、結局同年末に計画中止が正式に決まり、08年初
めには多くのメディアがこぞってアモイ市民の「散歩」は「公民社会の第一歩」と騒
がれた。この「散歩」は08年には上海の住宅地内を走るリニアモーターカー建設反
対運動、そして四川省の化学工場建設反対運動にも取り入れられ、上海ではさらに
「購物(ショッピング)に行こう」というデモの呼びかけも行われた。

 そして08年に最も注目される流行語と言われているのが「山寨」だ。もともと
「山中の砦」とか「賊の隠れ家」と言う意味の単語だが、そこから転じて「低レベル
の模倣」を指すようになった。

 この「山寨」が使われるようになったのは、有名携帯電話ブランドの製品をコピー
して作られた某弱小メーカーの製品が、もとの製品にはなかった機能搭載(たとえば
イヤホンを使わずにそのまま内蔵した音楽を流すことができるMP3スピーカーなど)
と低価格で人気を呼んだことがきっかけだった。それがあれよあれよと、「誰もが知
っているような何かを模倣して作られ、かつまた独特の個性を持っているもの」とい
う意味で使われ始めた。

 たとえば、深センでは実際に発行されている新聞をおちょくった「山寨新聞」が発
行されたし、南京にはハーゲンダッツ「哈根達斯」をもじった「哈根波斯」(ハーゲ
ンペルシャ?)やスターバックス「星巴克」をもじった「巴克星」(なんだか戦闘機
の名前のよう)、ピザハット「必勝客」をもじった「必勝糊」(マージャン用語みた
い……)などという看板を掲げた店が並ぶ通りができた。人気サーチエンジンの「百
度」とグーグル「谷歌」、そしてヤフー「雅虎」を一度に検索できる「百谷虎」
http://www.baigoohoo.com/)というサーチエンジンサイトもできた(ついでなが
ら、今見たらこの「百谷虎」のさらなる山寨サイト「paigoohoo」というのもあった。
ただ扉ページを見たところ、なんとなく胡散臭そうなサイトなのでアクセスしてみる
方は自己責任でどうぞ)。

 さらには、大学教授など研究者を招いて中国の歴史的文化遺産を語らせて人気のテ
レビ番組「百家論壇」のスタイルを真似て、肩書きを持たない市民研究者が論述する
「山寨百家論壇」がインターネットで流れたり、湖南省のテレビ局がアメリカの人気
ドラマ「アグリー・ベティ」を中国風にアレンジして製作したドラマ「丑女無敵」
(「丑女」は醜い「女性」という意味。「ちゃおにゅー・うーでぃ」という発音もま
た「アグリー・ベティ」を連想させる)がヒットしたり、と、ただの作り替え、模造、
低質の域を超えた人気「山寨」製品が出現し、若者の間で「山寨」は知らぬものがい
ないキーワードとなった。

 一方では「山寨製品は中国の市場体系の悪質化を示すものであり、山寨文化は文化
の堕落の象徴だ」「模倣が基礎となった現象であり、ある種の知的所有権に対する侵
犯だ」「山寨文化に寛容になりすぎれば、我われの社会は山寨文化がはびこることに
なる。そうなれば文化創造はますます難しくなってしまう」などと批判の声も、学術
界から上がっている。それに対して、「三級憲政専門家」(これもある種の「山寨」
だ)を自称する、英字紙「チャイナデイリー」の記者、五岳散人はこう反論する。

「メディアや映画がこれほどまでに発達した今日においても、伝達されるのは依然と
して上から下への、編集者、製作者などの精鋭グループというフィルターを通して作
られた製品でしかない。つまり、我われが見ることができるのは多くの人たちの選択
によって与えられたものなのだ。インターネットの出現は、このような上から下への
伝達方法をひっくり返し、本当に大衆が生産し、一人ひとりが生産者であり消費者で
あるという、一種の情報伝達のためのグループ作りが固まりつつある。山寨製品が山
寨文化となったのは、まさにこのような背景から出現したものなのだ。本来の山寨製
品はただの消費品だったが、大衆メディアの時代においてその表層的な意義は消し去
られ、あらたに精神的な内面を埋め込まれて時代の精神を代表するものとなった。つ
まるところ、山寨文化とはもともと『殻を借りた市場デビュー』なのである。消費品
に必要なのは消費者がお金を出してくれること、一方で山寨文化とは自分が楽しむた
めの文化製品をみんなで楽しむことであり、両者はその経済的意義においてすでに別
個の道を歩み始めている」(「学者たちよ、落ち着こう」五岳散人ブログ・08年1
2月28日)

 そして特に今注目されているのが「山寨春節晩会」だ。「春節晩会」とは毎年旧暦
正月「春節」前夜に放送される、日本の「紅白歌合戦」のような国民的なお約束事番
組である。「紅白」と違って歌だけではなく伝統芸能なども披露されるが、特に芸能
人にとっては全国に同時生中継される、国営テレビCCTV製作の「春節晩会」に出
演することでその地位が大きく向上する(つまり、お国のお墨付きを得られる)とい
う重要な番組だが、いかんせん、その分敷居は非常に高い。中国のように「不安要
素」を嫌う国においては敷居の高さはつまり、安全パイの選択となりやすい。そのた
めにここ数年、マンネリが批判されてきた。

 そこに山寨版の「春節晩会」を庶民の手で作ろうではないか、という声が上がっ
た。それはもともと、ある四川省出身のビジネスマンが、春節にさまざまな事情で故
郷に帰ることができず、北京で一人過ごす人たちに一緒に過ごそうと呼びかけたのが
きっかけだった。集まるならにぎやかに、そして楽しく過ごそうと、「手作り春節晩
会」のアイディア募集をブログに綴ったのだ。

 最初は多くの人たちが、CCTVという中国メディア界の怪物に真っ向から立ち向
かうかのようなこのアイディアの現実性に疑心暗鬼だった。「騒ぎたければ騒げばい
いさ。最近はCCTVの名前を借りて有名になろうとする奴らが多すぎる。地方のテ
レビ局ですらCCTVに対抗するなどと言って『春節晩会』を開催する。いちいちそ
れにかまっている暇はないね」という、CCTV「春節晩会」組織委員会責任者の高
飛車な言葉にも見られるように、それはまるで風車に立ち向かうドンキホーテのよう
に滑稽だとすら思われていた。

 しかし、そのアイディアがマスメディアに報道され、地方各地から参加希望者が出
現するにつれて「山寨版春節晩会」に対する人々の期待が高まった。地方の名もない
民間芸人たちに最低限でも北京までの交通費、宿泊費を支払いたいという「山寨版」
主催者のもとに小規模企業ながらもスポンサーが名乗りを上げるようになり、インタ
ーネットを使った世界同時生放送も決まったのである。

 そうこうするうちに、CCTVも「山寨」ブームを無視できなくなり、12月25
日に開かれた「CCTV2009年元旦晩会」(注・春節晩会ではなく、元旦晩会)
の記者会見でそのテーマを「山寨」とするらしいとまでささやかれるようになった
(しかし、その後このアイディアは夭折したらしい。たぶん、局内で反対されたのだ
ろう)。

 そうして、春節まであと1ヶ月を切った。いつもはこの時期、メディアの娯楽ペー
ジは「春節晩会の出し物はなに?」といったニュースで持ちきりとなるが、今年はど
こでもそれに負けないくらいの「山寨版春節晩会」への期待感でにぎわっている。

「そう、それは我われがいかに現実を見るのか――いかに一年に一度の完璧無欠なテ
レビ画面に大して我われ周囲の、明らかに粗末な生活を感じるか、という点にかかわ
っている。しかし、そんな大雑把な現実に、一般の人々が美を求める姿を見たことが
あるだろう。遠く手に届かないテレビメディアのどこに長年ゆっくりと累積されてき
た文化を見ることができるだろう? 陸橋の下で扇を持って踊るおばあちゃんたちの
ために、都市が空気がきれいな舞台を提供してくれるかい? 故郷に向かう長距離バ
スで流れる、すでに繰り返されてぼろぼろになったカラオケテープは、出稼ぎ労働者
たちにとってわずかな娯楽なのだと想像したことがあるかい? 『模倣』がどうした
? 今はもともとが『模倣』の時代なんだ。テレビのニュースで新味のある『会議ニ
ュース』を見たことがあるかい? 辺鄙な村の開発区のテープカットですら、キャン
ペーンガールたちの装束はどこかのそれを真似しただけじゃないか!」(「それぞれ
の山寨、それぞれの夢」南方都市報・08年12月30日)

「和諧」社会の下、そんな人々の姿はあまり日本のメディアでは報道されないだろ
う。しかし、中国の人々の気持ちには少しずつ変化が現れている。

 ということで、2009年もよろしく「大陸の風」にお付き合いいただけますよ
う、お願いします。

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ふるまいよしこ
フリーランスライター。北九州大学外国語学部中国学科卒。1987年から香港在住。
近年は香港と北京を往復しつつ、文化、芸術、庶民生活などの角度から浮かび上がる
中国社会の側面をリポートしている。著書に『香港玉手箱』(石風社)。
( http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4883440397/jmm05-22 )
個人サイト:( http://wanzee.seesaa.net )
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JMM [Japan Mail Media]                No.512 Thursday Edition
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